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2014年9月30日 (火)

「まほろば」73号、そして「地名フォーラム」38回

 石田天祐さんから『まほろば』73号をいただいた。

 「相撲史研究ノート(七)」は明治二十年の三府集会相撲で、四条河原で行われた番付をもとに、当時の世相を語っている。 華ノ峰善吉、磯風音治郎、常陸山虎吉などが登場。

 京都地名研究会第38回『地名フォーラム』の案内もいただいたが出席できなかった。その折の石田さんの講演要旨をもいただいた。

 テーマは「八幡信仰と地名伝承」で、八陣信蔵の「八陣」がとりあげられている。唐代の軍事用語で、軍隊を八つに分け、八流の幡を立てて敵軍に対処した陣立てで、「八幡」は八陣に立てた八流の幡。

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2014年9月29日 (月)

湖沼山さんからの報告

 湖沼山さんから最近の相撲関係の墓調査の報告をいただく。

 栃木山の墓が霊岸寺に新しく建ち、右面に夫婦の戒名。大麒麟は寛永寺第二霊園、玉桜は南千住の日慶寺、そして大鵬、北砂の妙久寺、さらに木村正直、船堀の法然寺。

 涼しくなってからということで、わたしはまだ大鵬さんも、正直さんも、お参りできていない。

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2014年9月28日 (日)

「大阪春秋」に楠岩五郎

 河内相撲史談会の大西英利さんから『大阪春秋』平成26年秋号(通巻156)をいただいた。特集「河内人の足おと」に楠岩五郎を執筆されている。

 小野川の太刀持ちを務める春好の絵、江戸での上覧相撲、最後となった小野川や雷電と訪れた雲州での番付、そして、郷里にある墓、大阪の墓が紹介されている。

 また、「タニマチの精神ここにあり」で、中村家三代の「まかしとけ!」の心意気が紹介されている。東西会会長だった中村広三さん一家の話。

付録に「近畿日本鐵道路線図」(昭和19年)がついている。

 

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2014年9月22日 (月)

吉野岩留吉の亡くなった日

 『古今大相撲力士事典』や『大相撲人物大事典』には吉野岩留吉の死亡年月日が昭和29年1月30日になっているけれど、これは小笠原東方洋上で16人の仲間と遭難した日である。

 墓については高橋正巳という方が徳島県出身力士について調べておられ、大阪市生野区中川墓地と記されており、その部分が間接的にわたしの手元にある。

 この墓地には高島姓の墓が多いが、正面に「吉野岩 高島留吉之墓」とあってすぐわかる。右面に「昭和二十九年十一月二日死亡 留吉」とある。背面には「昭和三十一年十一月 高島トミ建之」とあって、三回忌の法要に建てられたことがわかる。

 

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2014年9月17日 (水)

嵐山仁兵衛

 今月六日、いとこの法事で亀岡市の保津では相撲取り嵐山が有名で、碑が建っていると聞いた。

 帰ってネットで見ると明智越えの登り口にあり、「保津百景」に選ばれていることがわかった。図書館で『保津百景道しるべ』(平成22年12月25日 保津町自治会発行)をも見る。相撲関係は「嵐山仁兵衛住家跡」だけ。

 京都番付で嵐山を見る。寛政から文化五年にかけて世話人に名のある嵐山甚兵衛(後甚右衛門)ではなかろうかと思われる。

 久しぶりに母方の先祖ゆかりの地を訪ね、自然石の嵐山碑の前に立つ。平成二十年民家の取り壊しの際、破棄される運命にあったのを地域の人がもらいうけ、山王神社の前の広場に移したとのこと。墓前には花やお供え物が並んでいる。

 正面に大きく「嵐山仁兵衛」、その右に「文化十二乙亥十月立之」、左下に、「施主 嵐山広助 世話人 角力仲間」と刻まれている。

 

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2014年9月15日 (月)

井筒平八墓

 大西英利さんが平成八年に「かわち誌」で発表されている井筒平八墓を昨年10月6日藤井寺墓地で見落とし、藤井寺市観光ボランティアの会のHPでも井筒平八の墓は確認できなかったとあるので心配したが、今も大切に守られている。

 古い墓なので奥の方かと思ったけれど、入口からすぐ左に入って突き当たりに一族の岡田家墓域があり、その右奥に井筒の墓がある。一家の墓誌もあり、そこにも記録されている。安永五年申八月十一日歿。

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